フリーライダーの前提は公共財は個々が完全にサービスを利用できるという仮定にある

エリアマネジメントでよく問題とされるのがフリーライダー問題。
これは、ただ乗り問題のこと。
公共財では典型だが、例えば道路という公共財であれば、誰もが完全に利用ができる。
料金も徴収しない以上は、タダで使えるということだ。
タダで使えなくするには料金を取り、ゲートを作るということをする必要がある。
それができないから公共財ということでもある。
そして、公共財をどれだけ供給すればいいのかということは、投票によって決めるしかないという。
投票というのは最適な結果を得られるものではなく、単に半分以上の人がそうあるべきと考えているというだけのこと。
だが、そもそもエリアマネジメントで本当に公共財的なものがあるのか?と言うのが疑問。
フリーライダーといっても得られるもの、完全に得られるものというのは実は僅かではないかと思うのだ。
そうであれば、金を払って得られるメリット、それをエリアマネジメント組織が提供するということが成り立つのではないかと思う。
あくまでのエリアマネジメント組織の活動により、エリアの価値が上がるのであれば、エリアマネジメント組織が完全に公共財的なものをコントロールできるということであり、それはもはや公共財とは言わないだろう。
エリア全体で共有できる私的財なのだ。
エリアマネジメントはそうした私的財を目指すものだと考えた方が正解だと思う。
えりマネジメントは公共財を私的に供給するものではないし、その必要もないし、そうあってはいけないと思う。

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